irohato

a_yによる詩や短歌 https://utubuse.wixsite.com/ayweb

鳴らないナースコール

825号の個室に
ぼろぼろの男が入院した
重症の精神状態で
動くこともままならない

挨拶に行くと
男は噛み付きそうな目で私を見た
 キミは戦友か?
首を横に振ると彼の瞳に陰りが落ちた

「インフューザ・ポンプから麻酔を入れる」
医師の提案を彼は拒否した
歯をがちがちと言わせながら
耐える と宣言した
ナースコールさえ彼は一向に鳴らさない

ある日の夜
床ずれの水泡がつぶれて
彼は微かに痛がった
呻くのなど初めて見る気がして
あれ と思ったら
それから彼はみるみるうちに衰弱した
そして私の当番でない夜
ねむるように息を引き取った

翌日、別の患者がその部屋に入院して
案内した看護師が慌てた口調で
ナースコールが壊れてたみたい
と言う

だけど、わたしは何度も確かめていた
あのときは壊れていなかったはずだ…

ときどき、私の頭の中
空っぽの部屋でナースコールが鳴っている
戦友残して旅立った人
静寂のなかでわたしに何かを訴える