irohato

a_yによる詩や短歌 https://utubuse.wixsite.com/ayweb

発音しないpの音

発音しないpの音の中に
何の夢想をみるだろう

この喫茶店は煙草が吸えるよと
伝えると 彼は
今、妊婦さんいるから と言った
見ると私たちから遠く離れた席に
なるほど妊婦が穏やかな表情で
わきにも幼い子どもを連れて
この店の名物のチキンライスを食べている
そしてその大きく張り出した腹
未知の生命体が貪欲に呼吸しながらうごめいている

―妊婦は何故、ここへ来たのだろう。
とても喫煙可と知らずに来たとは思えないが。
そして受動喫煙であろうと、
煙草が妊婦に及ぼす影響も
知らずに来たとも思いたくない。
ならば、何故。

彼女がもしも、煙草に強い嫌悪を示し、
彼が煙草に火を点けた途端に
お代をテーブルに叩き付けて店を出ていくとしたら―

もちろん、空想だけれど―

幼な子も
腹の中で大きく波打つ生命も
無言の中に不条理さを取り込んで
他人の親切にのさばって
自分の傲慢さに気づかぬまま
生きてゆくことになるだろう

妊婦と小さな子どもが食事を終えて店を出てから
彼は煙草に火を点けた
深く大きく吸い込んで
天井に向かって細く長く吐き出す
わたしは感傷的になりすぎる癖があって
発音しないpの音のような
奇妙な間を その光景にみたのだった